和田 英作 | わだ えいさく |
少女像(横山美智子肖像) | しょうじょぞう(よこやまみちこしょうぞう) |
大正2(1913)年 油彩・カンヴァス 60.7×45.5㎝ | |
「少女像」は、尾道市出身で小説家の横山美智子をモデルにした作品です。上京まもない18歳の少女を偶然見かけてモデルを依頼したといわれています。和田自身、まさか少女が後に小説家になるとは思ってもみなかったことでしょう。 画面下に「愛すべき/田中良君に/和田英作/1913年5月5日」と記されています。この作品の制作当時、和田は東京駅壁画制作を依頼された頃で、田中はその助手として参加していた画家でした。おそらく田中へ贈るために制作したのでしょう。和田作品の明暗がはっきりした他の肖像作品と違い、穏やかな光に包まれた雰囲気を特徴としています。 |
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明治7 (1874)年 | 鹿児島県肝属(きもつき)郡垂水村(現鹿児島県垂水市)に生まれる。 |
明治27(1894)年 | 黒田清輝と久米桂一郎の画塾天真道場に入塾。 |
明治29(1896)年 | 白馬会の結成に参加し会員となる。 東京美術学校西洋画科の新設にともない助教授となる。 |
明治30(1897)年 | 同校西洋画科助教授を辞する。特に設けられた西洋画科選科第4年級に入学し、卒 業制作「渡頭の夕暮」を制作して同年修了。 |
明治33(1900)年 | 文部省留学生としてパリに留学しラフェエル・コランに師事する。 |
明治34(1901)年 | 秋から翌春まで浅井忠とグレーで共同生活をしながら制作に励む。 |
明治36(1903)年 | 帰国後、東京美術学校教授に就任する。 |
明治40(1907)年 | 第1回文展審査員となる。 |
大正8 (1919)年 | 帝国美術院会員となる。 |
昭和7 (1932)年 | 東京美術学校校長となる。(昭和11年まで) |
昭和18(1943)年 | 文化勲章授章。 |
昭和34(1959)年 | 静岡県清水市で逝去。 |