小林 和作 | こばやし わさく |
カプリ島(1) | |
昭和3(1928)年 油彩・カンヴァス 60.3×72.5㎝ | |
京都在住の日本画家だった小林和作は、洋画に転向を決意し、大正11(1922)年に上京しました。それから、尾道市に転居した昭和9(1934)年までの間が春陽会時代です。カプリ島(1)は、この時代を代表する作品の一つで、イタリアのカプリ島を題材にした作品です。小林和作は、昭和2(1927)年に春陽会会員となった翌年から約1年半の間、パリを拠点に欧州旅行をしました。生涯でたった一度だけの海外旅行でした。カプリ島行きは、洋画転向直後に知遇を得た梅原龍三郎の助言があったといわれています。この頃の画風は独自性が築かれる以前のもので、敬愛するセザンヌなどの影響が散見され、その後の構図を重要視した小林和作の姿勢が見られます。 |
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明治21(1888)年 | 山口県吉敷郡秋穂村(現山口市)に生まれる。 |
明治37(1904)年 | 京都市立美術工芸学校に入学。 |
明治42(1909)年 | 同校卒業後、京都市立絵画専門学校に入学。 |
大正2 (1913)年 | 「志摩の波切村」が第7回文展に入選、褒状を受ける。 |
大正11(1922)年 | 上京。洋画に転向し林武、梅原龍三郎、中川一政から指導を受ける。 |
大正13(1924)年 | 第2回春陽会展に出品し、初入選する。 |
昭和2 (1927)年 | 春陽会会員となる。 |
昭和3 (1928)年 | フランス、イタリアなどへ欧州旅行する。(翌年帰国)。 |
昭和9 (1934)年 | 春陽会を退会。独立美術協会会員となる。尾道市長江に転居。 |
昭和20(1945)年 | この頃、油彩画材不足のため、「燦樹(さんじゅ)」の号で日本画を描く。 |
昭和28(1953)年 | 芸術選奨文部大臣賞受賞。 |
昭和42(1967)年 | 『春雪秋霜』(求龍堂)出版。 |
昭和49(1974)年 | 『天地豊麗』(求龍堂)出版。 11月4日、写生旅行中の広島県三次市で奇禍に会い逝去。享年86歳。 |