平松 純平 ひらまつ じゅんぺい
除虫菊 じょちゅうぎく
昭和39(1964)年   アクリル、紙  76.7×108.8㎝
 
白い山肌は、すべて除虫菊の花の色です。蚊取り線香の原料として知られる除虫菊は、瀬戸内海の島々で、なかでも向島や因島で盛んに栽培されていました。現在、除虫菊を栽培する農家は、ほとんど無くなりましたが、美術館南側斜面地では、除虫菊を栽培しており、今日でも毎年5月に可憐な白い花を咲かせています。
「除虫菊」は、5月の因島の風景です。透明水彩ではなくアクリル画で描かれています。学生時代に油絵を描いていた平松は、卒業後から水彩画が主流となり、当初は、透明水彩でしたが、しだいにアクリル画で油彩画のような濃厚さを表現し、「除虫菊」のような画風を獲得しました。尾道の水彩画の中心的存在であった西原務の次世代を担う一人でしたが、惜しまれつつ早世しました。 。
 
昭和5 (1930)年 尾道市に生まれる。
尾道中学(現広島県立尾道北高等学校)在学中に、教師の杉原茂右衛門(水彩画)と瀧井金茂(油彩画)から影響を受ける。
昭和25(1950)年 尾道美術協会会員となる。
昭和29(1954)年 広島大学卒業。中学校の美術教師となる。
油彩画を中心に描いていたが、しだいに水彩画を描くようになる。
西原務(水彩画)のすすめで、日本水彩画会に出品する。(昭和49年まで出品)
昭和35(1960)年 日本水彩画会展に出品した「風景」で三宅克己賞を受賞。
昭和43(1968)年 日本水彩画会展に出品した「日立造船所風景」で文部大臣奨励賞を受賞。
昭和44(1969)年 日本水彩画会会員となる。
昭和50(1975)年 2月26日、逝去。