森谷 南人子 もりたに なんじんし
きゅうり  
昭和21(1946)年7月7日   水彩・紙  54.7×38.4㎝
 
森谷南人子は、風景画家であることから、スケッチ画は風景が主流となります。しかし、このような野菜や果物、さらには魚介類などを丹念に描いていました。美術館に保存されているスケッチに限りますが、そのほとんどが、食卓にあがる食材や花瓶に生けるような花き類です。森谷南人子は、写生を重要視する京都画壇に属する画家ですから、日々の鍛錬として、このようなスケッチを続けていたのでしょう。我が家にやってきた採れたてのきゅうりが、食する前に題材になったのではないでしょうか。
 
明治22(1889)年 岡山県小田郡(現笠岡市)に生まれる。本名利喜雄(りきお)。
明治27(1894)年 神戸市に転居。神戸市立尋常小学校時代に上級生だった村上華岳
(当時は武田震一)と親交を結ぶ。
明治38(1905)年 京都市立美術工芸学校入学。
明治42(1909)年 同校卒業。京都市立絵画専門学校入学。
大正 5(1916)年 岡山県笠岡市に転居。
大正 7(1918)年 第1回国画創作協会展に「快晴」が選外となる。
大正 9(1920)年 尾道市に転居。
大正15(1926)年 国画創作協会会友に推挙される。
昭和 3(1928)年 国画創作協会日本画部解散。新樹社の設立に参加。
昭和 5(1930)年 第11回帝展に「苗代田」が入選。(以後、昭和13年の第2回新文展まで入選。)
昭和 7(1932)年 第11回日本南画院展に「暮秋野色」が入選。(昭和10年第14回展まで)
昭和24(1949)年 広島県美術展審査員となる。
昭和32(1957)年 尾道市美術展審査員となる。
昭和55(1980)年 尾道市立美術館で「画業75年森谷南人子展」が開催される。
昭和56(1981)年 3月11日に逝去。