小林和作(霞村) こばやし わさく(かそん)
志摩の波切村 しまのなきりむら
大正2(1913)年  顔料・紙 対幅  各60.7×72.8㎝  第7回文展
 
小林和作は、京都で日本画家を志していました。霞村は、日本画家時代の号です。「志摩の波切村」は、この時期の代表作で、第7回文展に入選し、褒状を受けた作品です。題材となったのは、三重県波切村(現志摩市)で、当時、京都在住の画家の多くが訪れた場所です。小林和作は、当地で土田麦僊と出会い、写生に同行したそうです。「志摩の波切村」は、このときの写生をもとに制作されたもので、ちなみに麦僊は、現在代表作の一つに数えられる「海女」(京都国立近代美術館蔵)という作品を制作しました。霞村時代の現存する作品は非常に少なく、この作品は小林和作自身が手元に置いていた作品で、没後、尾道市立美術館に遺族から寄贈されました。
 
明治21(1888)年 山口県吉敷郡秋穂村(現山口市)に生まれる。
明治37(1904)年 京都市立美術工芸学校に入学。
明治42(1909)年 同校卒業後、京都市立絵画専門学校に入学。
大正2 (1913)年 「志摩の波切村」が第7回文展に入選、褒状を受ける。
大正11(1922)年 上京。洋画に転向し林武、梅原龍三郎、中川一政から指導を受ける。
大正13(1924)年 第2回春陽会展に出品し、初入選する。
昭和2 (1927)年 春陽会会員となる。
昭和3 (1928)年 フランス、イタリアなどへ欧州旅行する。(翌年帰国)。
昭和9 (1934)年 春陽会を退会。独立美術協会会員となる。尾道市長江に転居。
昭和20(1945)年 この頃、油彩画材不足のため、「燦樹(さんじゅ)」の号で日本画を描く。
昭和28(1953)年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
昭和42(1967)年 『春雪秋霜』(求龍堂)出版。
昭和49(1974)年 『天地豊麗』(求龍堂)出版。
11月4日、写生旅行中の広島県三次市で奇禍に会い逝去。享年86歳。