高卯 良蔵 たかう りょうぞう
朧月の尾道 おぼろずきのおのみち
昭和26(1951)年[撮影年]   39.5×49.5㎝
 
大正期に始まる尾道の写真史は、中国写真家集団に参加した昭和初期の重田禮志の活動と後進の指導などによって、多くの写真家たちを輩出しました。高卯良蔵は、その中の一人で、主に全日本写真連盟が主催する国際写真サロン展といった全国組織から、広島県美術展などの地方美術展を中心に活動し、なかでも備後地方の写真振興に寄与した写真家です。 「朧月の尾道」は、千光寺山から尾道大橋方面に向って撮影されたもので、当館所蔵の清水登之の油彩画「尾道の景色」と同じ構図です。撮影した季節は不明ですが、題名に朧月とあることから、霞みかかった春の月夜であることが推測されます。
 
明治40(1907)年 尾道市に生まれる。
昭和3 (1928)年 広島県立尾道商業高等学校を卒業。
卒業後から写真を始める。
昭和26(1951)年 第18回日本写真美術展に「尾道の夜景」が入選し特選を受賞。
昭和27(1952)年 第19回日本写真美術展で「鳴滝展望」が観光の部に入選。
昭和28(1953)年 第14回国際写真サロン展に「尾道夜景」が入選。
昭和29(1954)年 第15回国際写真サロン展に「初夏の風景」が入選。
第2回観光写真コンクールに「木ノ江風景」が入選し特選を受賞。
昭和33(1958)年 全日本写真連盟第10回関西本部合同展の審査員を務める。
昭和40(1965)年 第17回展から新設された広島県美術展写真部門の審査員となる。
昭和62(1987)年 逝去。