西 暦 |
和 暦 |
干 支 |
年 齢 |
出来事 |
一七八七 |
天明七 |
丁未 |
一歳 |
○尾道で木綿問屋福岡屋を営む父平田新太郎(画号五峰)と、母内海正近娘峰の二女として生まれる。通称は豊、あるいは章という。
◇頼山陽(八歳)広島在住。 |
一七九一 |
寛政三 |
辛亥 |
五歳 |
○妹玉葆、通称庸生まれる。 |
一七九九 |
寛政一一 |
己未 |
一三歳 |
○父五峰の画の師とされる福原五岳没する(七一)。
◇二月、山陽(二〇歳)は御園氏淳子と結婚する。 |
一八〇〇 |
寛政一二 |
庚申 |
一四歳 |
◇山陽(二一歳)脱藩後、幽閉される。 |
一八〇五 |
文化二 |
乙丑 |
一九歳 |
★二月「七福人図」に“玉蘊”の画号が初見される。
◇頼山陽(二六歳)謹慎を解かれる。 |
一八〇六 |
文化三 |
丙寅 |
二〇歳 |
☆管茶山「豊女史画牡丹花」詩成る。
○張梅花「訪玉蘊女史画贈」詩成る。
○一二月、父五峰病没する(四七)。
☆立明賛「美人図」 |
一八〇七 |
文化四 |
丁卯 |
二一歳 |
☆茶山「常磐雪行抱孤図」詩成る。
○九月、竹原にて頼山陽と詩会、舟遊を共にする。
※山陽「玉浦女玉蘊画松樹。卒賦題之」「龍山会。題玉蘊女史画牡丹花」「丁卯暮秋。遊竹原。邂逅平田二女。卒賦以贈」詩成る。
※「竹原床浦図」山陽「竹原舟遊記」成る |
一八〇八 |
文化五 |
戊辰 |
二二歳 |
※山陽「超玉蘊所画蜀三傑図」詩成る。 |
一八〇九 |
文化六 |
己巳 |
二三歳 |
※山陽「超玉蘊画山水」詩成る。
○九月、母峰、妹玉葆とともに神辺に茶山を訪問する。
★一一月、頼杏坪賛「郭巨図」(頼春水賛、玉葆筆「子路図」)
☆道光「■■島観牡丹歌」詩成る。
◇一二月、山陽(三〇歳)広島を発ち、神辺で廉塾の都講となる。 |
一八一〇 |
文化七 |
庚午 |
二四歳 |
○七月、新宮涼庭は神辺で山陽に会い、尾道橋本竹下邸にて玉蘊、玉葆と会い『西遊記』に印象を記す。
★冬、浄土寺の杉戸に「つる薔薇図」「山桜図」を制作する。 |
一八一一 |
文化八 |
辛未 |
二五歳 |
◇閏二月、山陽(三二歳)は玉蘊へ使い送る。その後、神辺を発ち京都に入り、私塾「真塾」を開く。
○六月ころ母峰、妹玉葆とともに上京する。八月ころまで京都に滞在する。
○九月末ごろ、木村鶴卿への手紙で、帰郷後の傷心を報告する。
○十月、茶山訪問。土産に江馬細香絵付けの磁盃を贈る。「章女」と茶山、日記に記す。 |
一八一二 |
文化九 |
壬申 |
二六歳 |
※茶山「玉蘊画西施五湖図」詩成る。 |
一八一三 |
文化一〇 |
癸酉 |
二七歳
|
○三月、劉夢沢「席上題贈玉蘊平腎妹」詩成る。
◇三月、山陽(三四歳)は父春水を京阪に迎える。
◇九月、山陽から篠崎小竹へ「文墨趣味の妻を捜してくれ」との手紙。
◇一〇月、山陽は美濃で江馬細香と会い、小石元瑞に求婚の仲介を頼む。
○この年、玉蘊の養子となる玉圃(妹玉葆長男)生まれる。 |
一八一四 |
文化一一 |
申戌 |
二八歳 |
◇二月ころ、山陽(三五歳)は梨影を囲う。
◇五月、山陽は江戸出府途上の茶山に会い、許しを得る。
◇八〜九月、山陽上京後初の帰省をする。
◇九月、尾道にて玉蘊と会う。山陽は細香の絵に賛詩をし仲間に贈る。 |
一八一五 |
文化一二 |
乙亥 |
二九歳 |
◇山陽(三六歳)は梨影と再婚する。四月、帰省する。
○九月、玉蘊は広島に滞在。杏坪宅にて春水、梅と共に玉蘊餞別の宴をする。
○秋、茶山は江戸の伊澤蘭軒への手紙に「豊(玉蘊)の絵が入用ならさしあげると伝えてくれ」とある。
○一〇月、尾道に遊び茶山を訪ねる。
◇一二月、山陽は竹下へ「玉蘊は汚された」と非難する手紙。
○この年、のち玉蘊の良人となる鶴鳴が「尾道 鶴鳴」として『やまかずら』に載る。 |
一八一六 |
文化一三 |
丙子 |
三〇歳 |
○一月「良人鶴鳴」とともに茶山を訪ねる。
◇二月、山陽(三七歳)は竹下の手紙に「玉蘊の夫が帰縁したよし」との噂について話す。
◇二月、山陽の父春水病没する(七一)。山陽帰省する。 |
一八一七 |
文化一四 |
丁丑 |
三一歳 |
★六月、「鶴図」(六曲二双屏風)「豊印」の落款印。 |
一八一八 |
文政元 |
戊寅 |
三二歳 |
◇二月、山陽(三九歳)は父春水の大祥忌(三回忌)に帰省する。三月、広島を発ち、九州へ。
◇一〇月、山陽は田能村竹田に玉蘊について「吾、実に負了んぬ」と悔いる。 |
一八一九 |
文政二 |
己卯 |
三三歳 |
◇二月、山陽(四〇歳)は九州から帰り母静子を伴って上京の途中、尾道へ寄る。橋本竹下の求めに応じ「題玉蘊画」を記す。
◇五月、山陽は母静子を広島へ送った帰り、尾道へ。「為女玉蘊題其所■古鏡」詩成る。 |
一八二〇 |
文政三 |
庚辰 |
三四歳 |
◇三月、山陽(四一歳)は竹下への手紙に「玉蘊の古鏡詩を作ったからみてくれ」とある。
○梅雨のあと、茶山「題玉蘊女画史所蔵古鏡」詩成る。
○この年、すでに鶴鳴と離別か。『郡山集』に「イセ 鶴鳴」とある。 |
一八二三 |
文政六 |
癸未 |
三七歳 |
○尾道の橋本竹下邸に宿泊の茶山を訪ねる。 |
一八二四 |
文政七 |
甲申 |
三八歳 |
◇一〇月、山陽(四五歳)帰省、尾道へ。一一月、帰途にも寄る。
☆このとき「渡橋忠良翁像」山陽の題賛成るか。 |
一八二五 |
文政八 |
乙酉 |
三九歳 |
○『芸藩通志』『尾道志稿』完成。玉蘊の古鏡及び杏坪、茶山たちの古鏡題詠詩掲載。
◇九月、山陽の叔父頼春風病没する。(七三)
◇一〇月、山陽(四六歳)は春風の訃報に接し帰省する。尾道にて星厳夫妻と会う。
○このとき梁川星厳「古鏡絶句四首為田氏女玉蘊題」詩成るか。
○一二月、竹田は亀山夢研宛の手紙に、玉蘊より古鏡詩催促の旨報じる。
★冬、「蘭石図」(名流婦人奇書画巻) |
一八二七 |
文政一〇 |
丁亥 |
四一歳 |
◇山陽(四八歳)『日本外史』を松平定信へ献上。
○中島棕隠、備後へ。「贈玉蘊女史」詩成る。
○八月、茶山病没する(八二)。
★道光賛「菊図」 |
一八二八 |
文政一一 |
戊子 |
四二歳 |
★道光賛「紅葉山水図」 |
一八三一 |
天保三 |
壬辰 |
四六歳 |
○白井華陽『画乗要略』刊「閨秀」の項に紹介される。
☆正月、「竹に鶴図」
◇九月、山陽(五三歳)病没する。
★冬「山水図」(襖絵)「山水図屏風」 |
一八三三 |
天保四 |
癸巳 |
四七歳 |
○田能村竹田『竹田荘師友画録』成る。 |
一八三四 |
天保五 |
甲午 |
四八歳 |
○竹下、難民救済事業として慈観寺の本堂再建。「桐鳳凰図」成るか。 |
一八三六 |
天保七 |
丙申 |
五〇歳 |
☆『教訓道しるべ』刊、「象図」木版挿絵。
◇『日本外史』(拙修斎木活)出版。 |
一八四〇 |
天保一一 |
庚子 |
五四歳 |
○母峰没する(七三)。 |
一八四三 |
天保一四 |
癸卯 |
五七歳 |
◇一二月、山陽の母静子病没する(八四)。
○孫(玉圃の長男)源太郎生まれる。 |
一八四四 |
弘化元 |
甲辰 |
五八歳 |
◇八月、『日本外史』(川越版)出版。
◇一二月、『山陽遺稿』附載の「山陽先生行状」をめぐる論戦始まる。 |
一八四六 |
弘化三 |
丙午 |
六〇歳 |
★「亀図」(襖絵) |
一八四七 |
弘化四 |
丁未 |
六一歳 |
★「孔雀図」 |
一八五三 |
嘉永六 |
癸丑 |
六七歳 |
★「山水図」 |
一八五五 |
安政二 |
乙卯 |
六九歳 |
★一月「富士図」
○六月二〇日、没する。尾道持光寺に葬られる。 |